アサダの見聞録

asayake_202@yahoo.co.jp
(問い合わせ、アサダマオまで。)
三月
八日 高円寺ぺンギンハウス(師匠の店)
三十日 高円寺スタックスフレッド
(鬼才 山田 庵巳とツーマン)

唄は続く。


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論ろ論、ろろろ論

昨夜は一本400円のワインを呑みながら夫がこさえてくれるアテを頬張りながら久しぶりに色々話したら、やっぱりこの男は、面白いゾ。と思った。
私は今、澁澤龍彦の奥様が書いた澁澤龍彦についての本を読んでいる。
澁澤龍彦というのは、我が師匠が一目置いている作家で、自分は師匠に澁澤龍彦大天才の本を一冊貰ったが、澁澤大天才の本を、自分は辞書引きながら一冊読んだことがあった。19か20歳だったから今よりさらに言葉を知らんかったのは差し引いてみても、難しかったが、めちゃめちゃ面白かったが、スラスラ読める易しさは無くて、なかなか骨が折れましたなあ、さて、読もうか、師匠に貰ったんだから絶対読まなくてはと思ったが、図書館へ夫と散歩へ行ったときに大天才の奥様の著書を見つけた。これを読めば大天才の人間像を抱けて、好きになれるかもしれない。それで読み始めた。大天才はなんというか、素敵な人間だ。

結婚観を変えられた。
メモをとり、夫に聞かせる。
誰もがみんなロマンチックでありたいと思うはずである。
それを金が無いの、時間が無いの、言って終わるのは、ロマンチックの才能が無いのだ。才能が無いやつを責めても馬鹿を見るだけと思う。しかし、自論を言えばこれも勉強あるのみである。
以前、師匠と結婚について話たことがあるが、ここで書けないが、エエ話聞いたな。
エエ結婚って、あるねん。

子供が生まれたら夫より子供、妻より子供、という縦の関係が出来てしまい、二人の愛情が希薄になる。
いつでも、何よりもお互いが最も関心を持つ存在、常に一番愛している状態でいたい。
大天才は、妻にそんなことを打ち明けたというのだ。

なんて素敵な感性でしょうか。私も、次生まれてまた女になりましたら、大天才の妻になりたいと思います。

何時の間にか夫は眠り落ちてた。
私は、新しい本を読みはじめた。
二ページ足らずを読んで、この作者は天才や、と思った。直感できたのである。しかし、酔いに呑まれて私もいつの間にやら眠りこけた。

明け方吐き気で目覚めたが、また寝てた。




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2012.01.25 Wednesday 12:22 | - | comments(0) | -

論ろ論ろ論ろ論ろ…

ぐるぐると、頭の中で言葉たちが組み合い絡み合い一つずつ小さな理論とな
って、それは薄ぼやけてはいるが、ほのかな理論だ。それをまた検証しながらのバイト中です。
一つ一つをまた並べて総じて如何、と目を細めて見つめていると、そこらかしこにキーワードがあって、それを自分はペンギン師匠に吹き込まれていることに、だいたいこういう発見の先には、あの師匠がいるのだから、一層のこと、自分はマスターを師匠に仰ぐと決めた以来、また自分の思考理論を耕していくのだが、結論が無いので、混沌を維持しようと思うのだ。前にも書いたかもしれない。混沌の中にこそ直感がある。マスターから聞いた。これは、湯川秀樹だったと思うが、その人物もオレと同じこと言ってんだァ、と師匠は瞳をドングリのように輝かせた。
自分は、直感が創作の第一歩であると思い至る。今年はたくさん本を読もうと決めた。

読むのも大事、書くのも大事、でも読んでいるとこれを読まずして書いたものに自分は自信を持てるかどうか、そんな気持ちがあった。
そんな話をしたら、

多読で直感を養えるんだヨ

と言われた。直感。これを大事にせなな。養わなくてはならない。

開高センセの本に、隔離が作家を養う。とあった。

それを読んで、いつか、師匠にディストピアという言葉を習った。これはユートピアの反語。ユートピアは外に探すイメージでディストピアは内に探すというふうに聞いたと思う。そこで、サドの話を聞く。自由を奪われてからこその自由。それが表現。

自分は小説を書きたいと思う。その気持ちは大事にしたい。しかし、何故かがわからない。小説という表現でなにをしたいのかが自分で語れない。
それが無いくせに、しゃあしゃあと書いたって駄目なんだ。ニセモノなんだ。
何故、歌を歌うのか。
好きの向こうになにがあるか。
その自覚が無い歌を、歌い手の詩を自分は多分、聴いてみてどう思うか知らないが、おそらくニセモノだな、と思うはずだ。

自分は小説に関して、そういうところにいると自覚できた。
バロウズのおかげだ。
やがて自分は気づくと思うのだ。
何故、言葉なのか、何故、小説なのか。

自分は可能の限り、自分を隔離しようと思う。

都合がよいのは、夫が、不思議な人間で混じり合えないのだ。我々は、夫婦でありながら最も理解し合えない人間であると思う。
一緒にいると、孤独を感じる。

もし、相思相愛、そんな相手と結婚していれば、自分は表現といより、工夫を楽しむ生活者になっていただろう。

自分は、孤独を選んだのだ。
この運命を喜ぶ。

感性が大事だ。
直感が創作だ。

蝶の恋
真っ直ぐな道
残りけり

師匠の俳句だ。私は、この一句に言葉を無くした。胸がいっぱいになった。希望を見た。

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2012.01.23 Monday 12:46 | - | comments(0) | -

ろろ論論

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熱が湧いてくるような気持ち、興奮で読んだ。バロウズについて書かれたものだから、バロウズの作品を読んだのではないが、いきなり裸のランチを読むよりは、これを読んだ方が良いと思える。これを書いた人はラテンアメリカ文学の翻訳もしてるそうで、ガルシアマルケスも訳してる。いつか読みたい。
バロウズについて何も知らない自分に初めてバロウズを吹き込んでくれたのがこの本なのだ。重要だ。
この本には、バロウズへの親しみと愛情と尊敬や憧れで溢れているが、それをぐっと抑え、客観に徹した姿勢でなるたけ真実を描いている。
良い本なのだ。バロウズ像が湧いてくる。それで私は熱狂した。昨夜は。今はいつもの低体温だ。寒いったらありゃしない。
ある作家を通して、自分は世界を知る。
この作家にしろ、バロウズにしろ、また私は素敵な窓を見つけた。

思ったのだ。
バロウズの人生とそこで作品が生まれてくる過程を読むなかで、バロウズについてだ。

人間、こんな戦いがあるのだなぁと。

彼は海賊だ。そんな印象を持った。孤高な海賊。しかし、ドロボーの為の海賊では無いのだ。

その小説は、今や戦利品のようなものかもな。

家にはケルアックの路上があった。
バロウズは持ってないのだ。
いつか手元に回ってくるだろう。自分にはそういう本がひっついてくる磁石がある気がする。楽しみや。

なんかわからんが、世界がでかくなりそうだ。
私は素敵な迷子ちゃん。
一昨日には、読書はさみしいと思った。昨日には、こんだけ自分の世界の限界というか、小さいというのを突き出されるわけだ。それは、つまり、本というのは作家のものではない、私の為のものだ。と思えたのだから、ありがとう、ありがとうと言ってみたい気分でした。





2012.01.22 Sunday 14:22 | - | comments(0) | -

論ろろ論

昨日は、夏の闇いうのを読みましたな、開高センセの小説。私は、この作家の本を一冊ずつ読み重ねながら作家という生き物の核心に迫ろうとしている。
このセンセには、ウツの血が流れてる。戦争というのを知ってしまえば人間はなんらかの哲学を迫られるのだと思う。センセは、それを磨きに磨き上げる。痛ましいほど、誰かを傷つけたり、自分を傷つけたりしながら、と思った。
この作家の小説というのは、なんだか告白のような気がする。
小説を通して、何かに詫び、何かに愛を打ち明けている気がするのだ。
気がする。
読書は気楽だ。悲しくもある。
いくら読み重ねようとも、私に、この作家の絶望を理解できることは無いだろう。戦争も知らぬ。

しかし、前に読んだものには、絶望という希望。という言葉があった。これには嫉妬を覚えた。

いくら読み重ねようとも、私にこの作家の強さも弱さも知れないのだから、読書は悲しくもある。

感じれば良いのだから、気にするこたあ無いのだろうけどね。
読んでるだけで、確かに人間を、読ませてくれる気がする。開高センセ、あなた自身を。そして喜怒哀楽を共に感じるのだ。グルメ談にしろ、なんかしら舌の上に味を想像せずに居られぬ。

やっぱり、到底自分には作家になれない。と、思う。しかし、作家になりたいと思うのだ。

ライティングマシーンというのを読み始めた。
バロウズについて書いてある本だ。

ビートは知らない。
だけど、ビートだなあ、と感じる感性はある。
これ、不思議だと思うのだ。

彼らの、堕落の、今のところ、やはり私には堕落に思える。その堕落にひそむ、びっくりさせられるような真実。
堕落の中でこそ語れるものかもしれない。
師匠が、直感は混沌の中にある。湯川秀樹だっけな?誰かがオレと同じこと言ってたんダ!と言ってた。

なんだか、似たようなカラクリだ。
真実というのにはパラドックスが含まれてる。
逆説。小林秀雄大先生の本で読んだ。

開高センセも、絶望という希望。

そう言うのだ。




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2012.01.21 Saturday 12:14 | - | comments(0) | -

いろいろ

__.JPG
書いたのに文章が消えた!
がっかりだ。

またいづれ書こうじゃないか。

私は、この作家が本当に好きになっちまったな。恋ですな、これは、恋でっせ。
まるで恋みたいに甘酸っぱい気持ちにしてくれる。

切ない、じつに切ない味。

それがこの冒険家に見る文章だ。

出会えて嬉しい作家。


2012.01.19 Thursday 12:14 | - | comments(0) | -

毎日

毎日、決めた通りの生活をできる、それが一番大事な気がする今日この頃。
バイトにもちろん朝昼夕と拘束される。寝るまで、残り何時間や?と考える。すると、やはり時間割りを作ることになるが、毎日漠然と、それを意識して生活してるが、用事ができることもあるし、どうにも気分が乗らないなんてこともあるし、結論を言うたら時間がもっと欲しいと思ってる。
しかし、それを言っちゃ話にならぬ。
工夫しなくちゃならん。食べ過ぎると横になるので、腹は七分までしか食べない。とか、考えるようになった。

本を読むにしろ、小説を書くにしろ、時間がかかるのだから、勉強には時間がかかるのだから、毎日毎日積み重ねるしか無いな。

焦ったり、イライラしても仕方ない。
世は不況
世は無常
どこにも逃げ場は無いのだから、石の上にも三年だ。この生活こそが我が表現には不可欠である、と、言えるようになったら、カッコいいね。人として。

そんなこと言ったが、明日は休みだ。
師匠が貸してくれた漫画を読もうと思ってる。

これ、貸してあげるヨ、この漫画家は天才だ。でも、上げないからネ。返してネ。

静かな幸せ。師匠から本を渡されると、ドキッとする。自分にわかるかな?と、思う。


休憩室は、お喋り馬鹿に静寂を奪われた。うるさい。音楽もテレビも最近はダメだ。前からテレビは見ないが、どうも言葉が混ざった騒音というのは、カフェーならそれが一層自分の内の静寂を高めてくれもするが、そうも行かないこともある。

耳栓効果のヘッドホンがあれば良いな。音楽を聴くためにでなく、静寂を聴くためだ。
そんなのがあれば流行るでな。
見た目も耳栓してるなんて変人か、嫌なやつでしょ、いかにも。まだ、音漏れしないヘッドホンの装いでしたらまだ感じ良いですね。

月曜日には、今週、使うぶんのお小遣いを財布に入れるのだが、昨日それをやらなかった。
たまには一人で喫茶店に行きたいな、と思っていた。明日はやすみだから、どこかに寄ろうかなと考えたのにな、忘れちまった。

千円だぜ、今週は。
それで足る暮らし。
静かな幸せがある。
本を読む日々だ。

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2012.01.16 Monday 12:42 | - | comments(0) | -

no title

誤字発見
依然には、改め、以前には

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2012.01.15 Sunday 14:17 | - | comments(0) | -

no title

昨夜は、読書の最中、ふと、その物語の結末を想像してみたくて、全集のなかのその物語の結末のページを探したのだが見つからない。
ちなみに、物語の最後のページを探しだし、今読んでいるページとを人差し指親指で挟み、その幅を見るという、これは、物語のボリュームからして内容をなんとなく空想するときに私がやるのだ。
目次には三百四十六ページからは新しい物語の表題がある。
はてな、はてな、三三六ページより向こうが無いのだ。はてな、はてな、つぎに並ぶは、飛んで三五三ページ。千切られた様子もなし。しかし、三三六依然には同じページがいくつかあったりするんだから流石に馬鹿野郎、と思ってしまった。
なんでや、なんでや、なんでや、なんでや。両掌を額にくっつけて天を仰ぐ。困ったときの人間の仕草。なんでやねん、ツッコム。なんでやねん、ツッコミ。
なんでなん?もはや、それは質問の域に達する。
インチキだよ、これは。
夫に訴える。

一寸、あんたァ、来たってェ、

なんだよ、どうした
(のっしのっし
歩いて近づいてくる音)

これ、ページがおかしなってるねん、最後無いねん、

(ヒョイ
本を取り上げる)

ああ、これは、( )だねェ

さて、そのとき夫の教養を見た。こういう印刷ミスのある本の総称をそこで私は初めて聞いて、

へェ、そんな言葉で言うんだ、しらなかった、アナタ素敵、なんて思いながらその単語を口の中で転がしたのだが、一夜明けた今、今日という日の昼飯を食べ終えた今、なんにも覚えてないのだな。

昼寝だ。たまには、本なんて忘れたれ、馬鹿たれッ
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2012.01.15 Sunday 14:08 | - | comments(0) | -

Pオースター

読んだ。
この人は詩人やったらしいな。それからフランス語ができるらしく翻訳家としていろいろな仕事もしてたらしい。私が読んだ孤独の発明は、ニューヨーク三部作の前に発表されたもので、散文的な小説で、興味深いとかなんとか、訳者のあとがきにて読んだ。
開高健の箸休めとして選んだ。
それは正解やったが、なんというか、この作家は、ウノボレに近いほどのロマンチストではないか?と、一瞬思ったりした。感覚というのを、小説の中で語るのは難しいけど、この作家はそれを整然とやってる。だから、ロマンチストにとれるのかな、私の感覚では。あまり好きでは無いな、面白いのはわかるけど。と、一冊、いや、大昔に数冊読んだ。面白いと思ってた。M上春Kにハマってたとき読んだ。ハマりましたね、あの頃は。しかし、今は読めない気がする。私は。やで?あなたがどう思うかは、あなたが好きに思えばよい、そのかわり、私は好きなことを言う。
風景や、人間はもちろん書かれてるが、読み手任せに核心のようなものを書いてる気がするのだ。
核心というのは、人間でいうと心臓や。心臓は動いてる。鼓動。
それが聞こえたと思ったら、それがそうや、といわんばかりに思って。
私が敬愛する開高健には心臓の音が一つ一つの言葉に変換されてる気がする。
あくまで気がする。だけやけどな、その直感が愛着というのではないかな、梶井M次郎を読んだが、あれまたふわっとした、幻想的な小説の中に鼓動が聞こえた。
なんでかな、わからない。
しかし、自分は、そういう鼓動を、触れただけて静電気が走るやろ、冬。あれくらいに、心臓がバチっと伝わるようなものを書いてみたいな、と憧れはでかいね。
しかし、上手いこと書くなぁ、と、オースター氏を読みながらまた思ったんやけど、饒舌になればなるほど、伝わることは減るのかもしれない。減るとは語弊があるなあ、なんといえば良いかしら。
おいらも勉強が足りねえだ、人様の小説を語るだなんて、100年はええだ。

しかし、オースター氏は、言葉というのを愛しているのだな。と思えた。
だから、大切にしてる。それ故にか。

開高健は、味わうことを愛してる。彼にしてみれば書くことは、報告と記憶の整理でしか無い気がするのだ。
そういうスタイル、かっこ良い。

五七五。師匠は俳句を、一度やり出すと辞めれないと言ってた。いろいろ読んで俳句の特別さが、面白く感じはじめてる。

俳句は詠むと書く。
詠むには、音読という意味もあるらしい。

省略の中にこそ、表現というのは起こるのかもしれない。

師匠はなにを愛して、省略に至ったのだろうか、と、考える。
表現というそのものを、愛してるのだろう。
今日のところはそう思う。

表現は深いな。なかなか考えるほど見えない。
表現とは自分を殺すことだ。
あれを師匠に言われたときは、シビれたね。しかし、わかるようなわからないような。

今夜はじっくり開高健だ。

やっぱり箸休めなんて要らないな。読みたいという気持ちが冷めない間は、箸休めなんて要らないのだ。
美味い美味い。結局、読みたいものを読んでるときがそう思えるのだから。

休憩終わり。草々。



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2012.01.14 Saturday 12:22 | - | comments(0) | -

さくじつは

開高健のベトナム戦記読んだ。
また、この作家が好きになった。
机にありったけの開高健を並べた。
楽しみや。
しかし、箸休めもしようと。
ポールオースターを久々に読もう。
孤独の発明者。
19歳くらいのときにいくつか読んだ。
箸休めには、開高健熱に蝕まれて読むよりは、その熱にホクホクしながら読みたいな、思うと、一気に、箸休めをしながら、でも、一気に読もう思って。
な?肉ばっかり食べるのはしんどいやろ?肉好きやけど。あるいは、寿司だって、白いのから赤いのへ行き海苔巻で
手巻きで、いうて閉めるのだから、誰か好きな作家を掘り下げるなら、そんな計画を私は立てる。それまた、読書の愉しみだな。
じつは、今年は江戸川乱歩で行こうと思ってる。
手元にまだ読んでないのが二冊あった。
開高健の次に乱歩やな。
読書スケジュール、漠然と頭にある。
ワクワクする。



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2012.01.12 Thursday 12:31 | - | comments(0) | -