ギギギ
参ずるべき疑が内から湧いて出たものにありては、自然、その解決に、様々の工夫をすることであらうが、従って工夫の窮まるところ、実悟を得るであらう。
盤珪という人は、師匠が居なかったらしい。盤珪には、内から湧いてくる疑があった。これに命をかけた。明徳とはなんぞ?という、これ、儒教らしいが。その明徳とは?いうところから。
盤珪、道元、白隠、日本の天才の名僧たち。なかでも、盤珪は、ずば抜けて、ユニークで独創的だという。
師匠が居なかったのも良かったのかもしれん。
参ずるべき疑。
私にはあるか?
あるんだ。
大学の先生が、ある尊敬する、数学者と話したらしい。そのときに、言われた言葉らしい。
雲の上はいつも晴れているよ。
それを、先生は授業中に言ってた。
あまりに良い言葉でメモった。
なんども思い出すうちに、考えるようになった。私は、雲の上にどうすりゃいけるか?
考える考える考える。
そういのもあって、鈴木大拙という仏教界のスーパースターらしい。
もちろん自分は知らんかった。
しかし、ここへ、たどり着いた。
少しずつ読む。漢字も常用外が多い。漢文出てくる。訳は、古文。他も、古文ほどではないが、古い日本語。
骨折る。
しかし、無駄骨を折らずして、何事もなし得ないとあった。
盤珪という人も、身共は、若かりしころ、鈍なりて、いかい無駄骨を折りましたわいの。
いうてはった。
大拙師匠、全巻、理解できずとも、
とりあえず読まな、あかん。
これは、やらなあかん、こと。
と、思う。雲の上へ行く、はしご。
しかし、悟りという言い方をするなら、どうやらそれは、頓。とん。
いきなり、ふいに、開けるそうだ。
しかし、雲の上が、果たして悟りの世界かは、わからん。
禅的、心の在り方、それをマスターすれば、矛盾を笑える余裕が生まれるのかもしれん。
そういうことが、読み取れんが、書いてあった。
矛盾については、昨日書いた。続きね。
矛盾。二元性。
男女、善悪、喜怒、愛憎、
確かに、矛盾を肯定する余裕がないから、怒りは生じるいうケースをたくさん思い出す。
他人にムカついたら、自分の余裕がないとき。力不足は認めて、頑張るしかない。もしくは、他人様にもいろいろあるから、余裕シャクシャク生きてる人間なんて。今日日、いてまへんえ。
AIに仕事を奪われる時代や。
大変な時代。今までにないくらい。はじまった。
これから、いかに、人間は、自分たちの手で、心を幸福にしていけるか?
そこだけは。自分たちで、人間の仕事としてありますように。と、思う。
だから、先生を見つけるのは素敵なことかもしれんね。人口知能相手に英語を練習、学習できるアプリとかある。
なんかを学ぶなら、人間から学びたい。
人間もデータっちゃ、データやろけど。
うーん。
人間瓜二つなAIができたら、
人間は、相手が同じ人間であるかのような幻想を簡単に抱く。
だから、問題ないのかもしれん。
わたしにはわからん。
しかし、わたしは、人間の生徒でありたいし、紙をめくる読書家でありたい。
なんとなく。そう思う。
この、なんとなく。てのが、最後の砦な気がする。
これが無くなったら?大変。
説明できんでも良いと思う。
違和感に対する正直な反応。
言葉にできるなら、もちろんそのほうが良い思う。
ああ、寝る時間
良い読書のあとは雄弁なり。
2016.08.26 Friday 23:21 | - | comments(0) | -